これはクラブチームを友人と立ち上げたときの実話です。2003年に新しくクラブチームを立ち上げて23年が経ちました。今では私が関わったクラブチームから、私のいる北信越の強豪高校チームに多くの子どもたちが来てくれたり、レベルの高い子はさらに上を目指して県外の強豪高校に行って活躍してくれています。しかしここまでの道のりは決して楽なものではありませんでした。
サッカー塾からのスタート

当時、私が北信越のある強豪校の外部コーチをやっていた時に声をかけてもらいました。元々、高校時代の同級生で一緒にサッカーをやっていた私の友人が最初にチームを立ち上げ、その立ち上げ当初に声をかけてもらいました。
最初はジュニアだけでした。当然クラブメンバーが少ないので、チームではなくサッカー塾(スクール)としてスタートし、近所の子どもたちを集めて公園や小学校の土のグラウンドなどで教えていました。私は高校のコーチが終わってから、もしくは高校の練習が休みの日だけの指導でしたが、高校生の指導とは全く違い、ゼロから教えないといけないので教え方がわからず大変苦労したのを覚えています。
子どもたちが増え、正式にクラブチームへ

チームではなくこのようなスクールに来る子らは、自分の子どもに軽くボールを触らせてあげたい、また運動神経を少し上げたいと思う親がほとんどで、本気でサッカーをやっている子らは全く来ません。そのため、運動神経の少し劣る子らばかりが集まります。
しかし友人と地道にジュニア年代の子どもたちに教えていると、噂が広がって子どもたちがどんどん増えていきました。小学1年生から6年生の構成で全体で30人くらいになったのを機に、サッカー協会に届け出をして塾(スクール)からチームとして正式に登録しました。
新クラブチームの誕生です。先々はジュニアユース、ユース、社会人チームも作り、最終目標はJ参入と大きな夢を掲げました。しかし、現実はそんなに甘くなく、チームになってからは様々な問題に直面しました。
チームになってから直面した5つの問題

大きくは以下の問題に直面しました。
①全く勝てない問題
②親との関わり方の問題
③人が集まらない問題
④チームとしてどんな色を出していくかという問題
⑤育てた上手い選手は我々のチームには残らずJ下部に行ってしまう問題(ジュニアからジュニアユースに上がる時に)です。
この問題は新しく立ち上げたチームに起こりえる問題ではなく、多くのチームが抱えている問題、悩みでもあると思います。一つひとつ振り返りながら、どう乗り越えてきたかをお伝えします。
勝てない日々と親からの不信感

まず直面したのが①の全く勝てない問題です。これはある程度覚悟はしていましたが、練習試合しても2桁失点は当たり前で、子どもたちはボールすら触れず、まるで子どもたちがコーンのように見える時もありました。
悲しいですが、真剣に指導してもなかなか子どもたちの成長は見えず、ある年は一度も勝てない年もありました。こんなに負けが続くと次に起こる問題が②です。親らがチームに対して不信感を持ち出します。
「このチームにいて大丈夫なの?」「子どもは成長しているの?」「指導が悪いのでは?」「指導者を変えてください」、挙句には経験者の親が「私が教えた方がまし」と言ってきます。そして事務所まで来てチームとしてこうした方がいい、ああした方がいいなどの要望書を持ってくる親もいました。正直、この時期は指導者として自信を失いましたし苦しみました。代表に関しては過度のストレスで入院する始末です。
人が集まらない中での育成

そして、これだけ勝てないと、次に起こるのが③です。こんなに弱いチームになかなか人は集まりません。そこそこ運動神経の良い子は強いクラブチームに行きますし、うちに来る子は体育の通信簿が1とか2、良くて3くらいの子がMAXで、その子らを育てて勝っていかなくてはいけません。
運動神経の劣る子らをどうやって上手くするかは、この当時、真剣に考えました。今振り返ると、この壁と向き合った時間が、後の指導の土台になったと感じています。
技術指導の気づきで見えた成長

しかしある時にジュニア年代のナショナルトレセンの練習を見学したときに、その子らの足元の技術をじっくり観察していると、あることに気付きました。それはボールの触り方、置き所です。この気づきから得られた内容のドリブル練習、ファーストタッチの練習メソッドを作って、子どもたちにドリル的に毎日やらせました。
その結果、全然ヘタクソな子でもボールが足元に入ってきて簡単に奪われなくなり、トラップもファーストタッチでピタリと止められるようになって、ものすごく子どもたちの成長が見えた瞬間でした。
私はこの気付きで、子どもたちを上手くさせるための技術の言語化ができるようになり、ヘタクソな選手をある程度のレベルまで成長させられる自信がつきました。余談ですが、元々天才肌の感覚だけで現役選手をやっていた指導者は、自分の技術の言語化がなかなかできない人が意外と多いです。
チームの色と「怖い選手」を育てる方針

そして試合でもそこそこ戦えるようになってきて、勝てるようになりました。最終的には全国大会まではまだいけていませんが、県内では全国大会につながる公式な大会で決勝戦まで勝ち上がったり、新人戦では県で優勝したり、ローカルな大会では頻繁に優勝できるようになりました。
そのため、そこそこ優秀な選手が移籍してきたり、運動神経の良い子が入ってくれたりして、チームとしてどんどん強くなっていきました。そうなると今度は結構注目されるようになるので、内容を見られるようになります。要はこのチームはどんなサッカーをしているのか、ということです。
これはチームによってポゼッションなのか、ハイプレスサッカーなのか、蹴って走るサッカーなのか、守備重視のカウンターサッカーなのかという部分です。集まる個によって戦い方、チームの作り方が変わるので、これといった形はありません。選手の特徴などを見て戦術を決めるので毎年変わります。
ただ一貫して昔から変わっていないところがあります。それは「上手い選手ではなく怖い選手を育成する」です。チームとしてある前に個があるので、その個(その子の武器)をいかに持たせて次のカテゴリーに送り出すか、ここにフォーカスしているチームです。
一人ひとりがどのポジションでもゴールを狙える選手の育成です。FWだから、MFだから、DFだからではなく、どこからでもゴールを狙える選手ほど怖いものはありません。どこからでも常に首元にナイフを突きつけているイメージです。
選手の移籍という避けられない問題

そして最後の問題が、小さい時から育てた選手が他のチームに移籍してしまう問題です。これは悲しいですが、どのチームでも起こりえる問題で、アマチュアである以上、選択権はその子(その親)にあるので引き留めることはできません。
そうならないためにチームの魅力を最大化していくしか方法がありません。悲しいかな、魅力のないチームに人は集まらない、来ない、残らないということです。それでも、送り出した選手が上のカテゴリーで活躍する姿を見ると、育てた意味はあったと感じています。
苦労の先に見えてきたもの

特に②の親との関わりの問題に関しては、どこのチームでも必ず起こる問題ですが、今では県内でもそこそこの町クラブに成長して、親とコーチ陣の間に明確なルール、試合中の親の応援のルールなど細かく決まっており、代表が入院することはなくなりました。
そこそこの町クラブに成長させるためにこの間、大変な苦労をしましたが、多くの選手が巣立っていき、今ではその子らはチームに帰ってきて、このクラブの社会人チーム(地域リーグ所属)でプレーしていたり、コーチをやってくれたりしています。


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